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2023.09.22

WING

なぜ国産旅客機は開発中止の道を選んだのか

 型式証明取得まで7割まで来ていたスペースジェット

 三菱航空機が開発に挑んだ「スペースジェット」。リージョナルジェット機市場に、「メイド・イン・ジャパン」ブランドの旅客機を投入するべく、三菱重工業ら日本のトップエンジニアの精鋭たちを中心に取り組んだ国産旅客機開発だった。
 「YS-11」以来、約半世紀ぶりの挑戦。敢えて“YS-11以来半世紀ぶり”という言葉を使ったが、三菱重工業の開発チームには、ビジネスジェットならば1980年に開発した「MU-300」の知見があった。さらには防衛省・自衛隊機向けの機体開発はもちろん、旅客機でもボーイングとタッグを組んで着実に力を伸ばした国際共同開発の知見・ノウハウが蓄積されていた。技術者チームにも、決して小さからぬ自信があったのではないだろうか―――。一時は国内外から約400機以上の受注を獲得することに成功。それでも、型式証明取得という分厚い参入障壁に悪夢へと突き落とされていくことになる。
 しばらく国産旅客機開発が途絶えてしまったが故に、さまざまなノウハウが失われた事もあろう。ただ、「YS-11」開発当時とは、世界の航空機開発は似て非なる時代へと突入していた。時代の流れとともに型式証明取得という壁の高さは、日本陣営が想像していた以上に高いものとなっていた。結果、「MRJ/スペースジェット」プログラムは、計6度の開発スケジュールの見直しを余儀なくされ、2023年3月、ついに「開発中止」の決断が下された。その時、累計飛行時間は約3900時間、プログラムは型式証明取得まで約7割というところまで来ていた。

※この記事の概要
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※写真=無念の開発中止となった国産旅客機「MRJ」のロールアウト