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2024.02.26

WING

第194回「日本が危ない」能登半島で得た代えがたき教訓

半島地形が活動難航に
現場ではオスプレイ待望論

 

 1月1日に発生した能登半島地震で、自衛隊は延べ17万人以上を被災地に投入し救援活動を行った。自衛官による献身的な活動は地元住民から感謝された。ただ、半島という地形上、活動はさまざまな困難にも直面した。今後の教訓とすべき課題も見つかった。
 地震発生後、「オスプレイが使えればなあ」との声が複数の防衛省・自衛隊幹部から漏れた。在日米軍の垂直離着陸輸送機MV-22オスプレイは2016年の熊本地震の際、被災地で救援物資などの輸送支援に当たった。日本国内の災害支援でオスプレイが出動するのは初めてだった。通常の軍用ヘリコプターと比べてオスプレイの速度は速く、荷物の搭載量が多い。地元住民にも喜ばれた。
 しかし、昨年11月に鹿児島県屋久島沖で米空軍のオスプレイが墜落し、乗組員8人が死亡する事故が発生した。事故を受けて、陸上自衛隊は所有するオスプレイ14機の機体の安全性を確認するため当面の間、訓練飛行を見合わせていた。派遣されていれば輸送に活躍していただろう。
 屋久島沖での事故では行方不明者の捜索のため、24時間態勢で自衛隊や海上保安庁が献身的に協力した。このことに在日米軍は謝意を示し、今回の地震ではその恩返しのためにも協力したいとの申し出があった。
 ただ、在日米軍が実際に支援活動を開始したのは1月17日になってからだった。米軍のヘリコプターUH-60が航空自衛隊小松基地から能登空港に食糧などを輸送した。この依頼について、自衛隊内からも「投入は遅きに失した」(陸自幹部)との声も出た。
 2011年の東日本大震災の際、米海軍の強襲揚陸艦エセックスは、2週間にわたって孤立していた宮城県気仙沼市の離島・大島で救援活動を行い、電源車や給水車、支援物資などを上陸用舟艇(LCU)で輸送した。能登半島地震では地形が隆起して海上自衛隊の艦艇も接岸できなかったので、前述の陸自幹部は「当初から米海兵隊のLCUを活用していれば、倒壊した建物からの住民の救出活動はもっと円滑にできたかもしれない」と語った。

 

海外からの支援断ることに
在日米軍とは阿吽の呼吸

 

 外国からの支援をめぐっては台湾からの救助隊の支援を日本側が“断った”と報道されたことが話題となった。地震発生を受けて、台湾政府は1日夜、国際人道救援に当たる医師を含む160人規模の救助隊の派遣準備を完了し、日本側の支援要請があり次第、チャーター機で派遣する方針だった。だが、支援のニーズがないことを確認し3日午後2時に待機を解除した。

 

第14普通科連隊による物資輸送の様子(提供:統合幕僚監部)

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