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2022.01.13

なぜ?から知る各国の教育材料 カンボジア01

<カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムには、日本にとって「なぜ?」と思うことがたくさんあります。そのナゾを紐解くことで、各国の歴史た文化、暮らし、そして日本との関係もみえてきます。この教育旅行ガイドでは、各国の気になる「なぜ?」を紹介します>

 

 

カンボジア  Kingdom of Cambodia

 

 

日本の国際支援と友好関係を知る

500リエル紙幣に日本国旗が描かれている

 カンボジアの500リエル紙幣に描かれている図柄から、日本の国際協力と友好関係を紐解くことができます。日本のODA(政府開発援助)によって、2001年にメコン川に全1,360メートルの「スピアン・キズナ(キズ橋)が架けられました。この橋により、首都プノンペンへの交通や物流が劇的に改善。カンボジアの経済は大きく飛躍しました。日本のその功績をたたえ、500リエル紙幣にはキズナ橋と日本とカンボジアの国旗が刻まれた記念碑が描かれています。

 このほかにも、カンボジアには日本の支援で架けられた橋があり、全長2215メートルの「ツバサ橋」は2015年に完成。プノンペン郊外のメコン川に架かっています。この「ツバサ橋」の姿も500リエル紙幣に描かれています。また、プノンペンのトンレサップ川に架かる「ニホン橋」は、1966年に完成しましたが、内戦によって破壊。1994年に再び日本の援助により「日本カンボジア友好橋」として修復されました。

 日本の国際協力について取り上げる際、この500リエル紙幣から話を展開してはどうでしょうか。生徒は「なぜ?」とその理由に関心を持つかもしれません。日本とカンボジアにおける国際協力の歴史やカンボジアと日本の友好関係を知るきっかけになります。

 

 

昔の日本人の仏教観を知る

アンコール・ワットに日本語の落書きが残っている

 徳川幕藩体制がまだ整っておらず、鎖国もまだ行われていなかった1632年(寛永9年)、肥後の加藤清正の重臣・森本儀太夫の子で、平戸藩の松浦家に仕えていた森本右近太夫一房という武士が、仏道修行を目的として、アンコール・ワットを訪れました。しかし、長い旅の末にアンコール・ワットにたどり着いた森本は、ここをインドの仏教の聖地「祗園精舎」と勘違いしていたと伝えられています。

 現存する「祗園精舎図」(水戸彰考館蔵)が、アンコール・ワットの実測図とほぼ一致するため、森本だけでなく当時の日本人はここを祗園精舎だと信じていたようです。

 森本は、アンコール・ワットの2か所に墨書を残しました。そのうち入口回廊の石柱に残された墨書から次の内容が読み取れます。「寛永九年正月ニ初而此所ニ来ル 生国日本肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫一房御堂ヲ心シ数千里之海上ヲ渡リ…」(以下略)

 森本や当時の朱印船でカンボジアに渡った日本人が残した墨書は14か所にものぼります。このことは、活発な交易だけでなく、日本人の仏教観を表す記録ともなっており、カンボジアが当時の日本人にとって身近な存在だったことをうかがわせます。

 アンコール・ワットは日本人旅行者にも人気が高く、カンボジアを代表する観光地であり、「アンコール遺跡群」が世界遺産としても登録されています。

 

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