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2019.01.21

兼高さんの功績と旅行業の変革

 兼高かおるさんが亡くなられた。ポスト団塊以上の世代なら、ほとんどの人が兼高さんを知っている。兼高さんと言えば、TBS系列で放映された「兼高かおる世界の旅」で一躍有名になり、「海外旅行の代名詞」的な存在だった。
 亡くなった後の各局ニュースのコメンテーターは、この番組で海外旅行に憧れたという発言が多かった。一方で、ジャーナリストとして、女性の社会進出の草分けと評価する人もいた。
 日本旅行業協会(JATA)の田川会長、菊間副会長をはじめ旅行業界には兼高さんと懇意にされたいた方が多いと思う。日本旅行作家協会、日本エコツーリズム協会の初代会長を務められたことからも、兼高さんと旅行業界とは密接な関係があったと推察する。
 個人的には、ツアーグランプリの選考委員をしている関係で、ツーリズムEXPOジャパンの表彰式に、ツアーグランプリ審査委員会をされていた兼高かおるさんとご挨拶をする程度だった。もう少し、いろいろなお話を聞かせてもらいたかったと悔やまれる。
 「兼高かおる世界の旅」は1959年にスタートし、その後、31年間続いた長寿番組。少年当時見た記憶では、朝早くに放送され、起き抜けで、眠くてぼんやりしながら「海外はすごいな。きれいな女性が行っている、ハキハキした声で喋っている」というような印象だった。受け手の芥川隆行さんの声も渋かった。この番組を見たときから、自分の頭の中に「海外、海外旅行」が初めてインプットされたと思う。
 兼高さんには恥ずかしくて、そんな話はしなかった。多分、その当時、そうした少年少女、大人がごまんといて、兼高さんも初めて会う人ごとにそんな話をうんざりするほど聞かされていたのに違いない。このことだけでも、兼高さんが海外旅行に果たした貢献は計り知れない。
 1964年の海外旅行の自由化から50有余年。1959年から始まった「兼高かおる世界の旅」は、日本の海外旅行の成長を牽引した旅番組と言っても言い過ぎではない。正直に言えば、31年間も放送されたことは知らなかった。1990年のバブル真っ只中で、放送が終了したことは象徴的ですらある。
 こうした時代の象徴ような方が亡くなられると、「一つの時代の終わり」などと決まり文句のように語られるのには違和感を覚える方だが、兼高さんには、その思いを強くした。
 兼高さんの番組で海外の魅力を知り、海外旅行への意欲が高まった。それに応えるように、海外旅行が自由化され、パッケージツアーがその受け皿となって隆盛を極めた。パンナムや日本航空も海外旅行の象徴だった。
 定番パッケージツアーで、日本人が海外旅行にバンバン行く時代は本当に終わったんだなと改めて思った。パッケージツアーの草創期の方々が高齢化したことと、パッケージツアーからFITに流れが重なったことが背景にある。海外旅行というよりも、旅行業が変革期にあることを思わずにいられない。
 OTAは場貸しサイトからメタサーチが台頭しているが、いずれは航空会社やホテルの直販サイトがシェアを拡大するとの意見もある。OTAのプレイヤーは変遷していくだろうが、旅行業のプレイヤーは変わらない。
 旅行業のプレイヤーは変わらなくても意識改革が不可欠だ。パッケージツアー隆盛の時代は二度と来ない。そのことは、本紙創刊50周年号で、多くの人が指摘している。
 旅行業界の中で、ツアーオペレーター、観光局、航空会社、ホテル、GDS、保険など、旅行会社を取り巻く関連業界の方が時代の変化に敏感だ。旅行業界では大手や中小の中には、独自色を強めて変革を進めているところもあるが、全体としての動きは鈍い。
 流通だけではなく、宿泊、航空を含む交通輸送も今後10年で大きく変貌する。このままでは取り残される。組織のあり方も含めて、旅行業の変革を正面から議論すべき時に来たのではないか。(石原)